こうじ菌を使った酒造りの技術は、2024年にユネスコ無形文化遺産の代表一覧表に登録された[1]。国内で「伝統的酒造り」として整理されてきた対象には、日本酒だけでなく焼酎・泡盛・みりんが含まれる[3]。並行複発酵という独自の発酵法により、日本酒は最大で約20%という高いアルコール度数を実現でき、同じ醸造酒に分類されるワインの約15%と比べても際立つ製法である[3]。この記事では、登録の経緯と対象、酒造りの歴史的背景を、公的機関の資料に基づいて整理する。
2024年、ユネスコ無形文化遺産に登録された「伝統的酒造り」とは
登録された技術の中身
ユネスコの無形文化遺産代表リストに登録された名称は「Traditional knowledge and skills of sake-making with koji mold in Japan」であり、こうじ菌を用いて原料のでんぷんを糖に変える技術と、その過程を人の手で見極める知識が対象になっている[1]。ユネスコ側の説明では、酒は穀物と水から作られる酒類であり、日本文化に深く根付いた存在として位置づけられている[1]。職人はこうじ菌が最適な条件で育つよう温度と湿度を調整しながら工程を見守り、その仕事の巧拙が酒の質を左右するとされる[1]。
国内の登録無形文化財としての先行登録(2021年)
ユネスコ登録に先立ち、日本国内では2021年10月15日、文化審議会が「伝統的酒造り」を登録無形文化財に登録すべきと文部科学大臣に答申した[3]。この答申における保持団体は「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保存会」である[3]。国内の文化財制度上の評価が先に整い、その延長線上で国際的な評価につながったという順序を押さえておくと、登録の経緯が理解しやすい。家庭でお酒を楽しむ立場から見ると、国内の評価と国際的な評価が別の時点で積み重なっている点は、意外と知られていないと感じる。
なぜ「こうじ菌を使った酒造り」が評価されたのか
並行複発酵という独自の発酵技術
日本酒の製法は、並行複発酵と呼ばれる発酵法を基盤としている[3]。並行複発酵とは、こうじ菌がでんぷんを糖に変える糖化と、酵母が糖をアルコールに変える発酵を、同じ容器の中で同時に進行させる方式である。ワインのような単発酵(果汁の糖をそのまま発酵させる方式)や、ビールに代表される単行複発酵(麦芽で糖化した後に別工程で発酵させる方式)と異なり、発酵の進行を高度に調整する能力が求められる[4]。
| 酒類 | 発酵の方式 | 出典 |
|---|---|---|
| 日本酒 | 並行複発酵(糖化と発酵を同時に進める) | [3][4] |
| ワイン | 単発酵 | [4] |
| ビール | 単行複発酵 | [4] |
この技術の結果、日本酒は最大で約20%のアルコール分を含む一方、同じ醸造酒に分類されるワインは約15%程度にとどまるとされている[3]。醸造酒でありながら蒸留酒に近いアルコール度数まで達する点が、伝統的酒造りの技術的な独自性として評価されている。
杜氏と蔵人が担う技の伝承
酒造りの現場では、杜氏と呼ばれる責任者が蔵人と呼ばれる作業者を率いて、こうじの状態を見ながら実践と伝承を担う[1][2]。近代科学が成立・普及する以前の時代に、経験の蓄積によって製法を探り出し、巧緻な手作業の技として築き上げてきた歴史がある[4]。ユネスコの説明では、もともと酒造りは女性だけの仕事だったが、需要が増えるにつれて男性も関わるようになり、現在では性別を問わず知識と技術を習得できるとされている[2]。
対象となる酒類—日本酒・焼酎・泡盛・みりんの麹文化
酒税法における清酒の定義
日本酒は酒税法上「清酒」と呼ばれ、米、米こうじ及び水を原料として発酵させ、こしたものと定義され、アルコール分は22度未満と定められている[5]。米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定める物品を原料として発酵させこしたもの(政令で定める物品の重量が米の重量の50%を超えないもの)や、清酒に清酒かすを加えてこしたものも清酒に含まれる[5]。この定義は酒税の分類上の区分であり、ユネスコの登録範囲そのものとは別の制度だが、こうじを使う酒造りが日本酒という酒類の法的な骨格にも組み込まれている点は確認しておきたい。
焼酎・泡盛・みりんに共通する麹の役割
文化庁の整理では、日本に固有の酒として日本酒のほかに焼酎、泡盛、みりんが挙げられ、いずれも世界的に見てユニークな製法によって造られているとされる[3]。
- 日本酒(清酒)
- 焼酎
- 泡盛
- みりん
これらの酒類に共通するのが、こうじ菌を使う工程である。焼酎・泡盛の酒税法上の分類の詳細(原料や蒸留方式による区分)は、今回参照した条文の抜粋には含まれていないため、その条文には踏み込まない。ただし、こうじを使う点で日本酒と技術的な系譜を共有しているという整理は、文化庁の資料からも読み取れる[3]。また酒税法上、みりんは合成清酒や甘味果実酒、リキュールなどと並んで「混成酒類」に分類されている[5]。清酒とみりんが同じ酒税法の枠組みの中でも別の分類に置かれている点は、原料が共通していても製法上の位置づけが異なることを示している。
酒造りの歴史—神話から中世の記録まで
『古事記』に描かれた酒造りの逸話
文化庁の整理によれば、酒は日本の食文化の歴史において最も古くから定着したものの一つであり、『古事記』には「八俣の大蛇」を退治するために「八塩折りの酒」を造って飲ませた話が描かれている[4]。神話の中に酒造りの場面が登場すること自体が、酒という飲み物が古くから物語や儀礼と結びついていたことを示す資料になっている。
『播磨国風土記』とこうじの起源
技術的な観点で手がかりになるのは、奈良時代に成立した『播磨国風土記』である。同書には、神に供えた蒸米に生えたカビを用いて酒を醸した話が登場し、当時からカビの生えた米、つまりこうじの原型を用いた酒造りがなされていたことがわかる[4]。さらに文化庁の資料では、平安時代の国家制度を記録した『延喜式』にも酒造りに関する記述が続くと紹介されている[4]。奈良時代の記録から平安時代の制度文書まで、こうじを用いた酒造りの記述が時代を追って残されている点は、技術が一時的な発見ではなく、継続的に整えられてきたことを物語る資料的な裏付けになる。
世界への発信—無形文化遺産登録が持つ意味
担い手の多様化と伝承のかたち
ユネスコの説明では、酒造りは今日では大量生産されている一方で、伝統的な方法で酒を造り続ける職人が存在し、杜氏が蔵人を率いて技術を実践し、次の世代に伝えているとされる[2]。かつては女性だけの仕事だったものが、需要の増加とともに男性も関わるようになり、現在は性別を問わず技術を習得できる状況にあるという説明もある[2]。伝承の主体が時代とともに変化してきたこと自体が、無形文化遺産としての「伝統的酒造り」を理解するうえで欠かせない要素になっている。
海外への価値の伝わり方
ユネスコの説明文では、酒が神々からの神聖な贈り物とみなされてきたという儀礼的な位置づけも紹介されている[1]。技術的な側面(こうじ菌の管理や並行複発酵という発酵方式)と、儀礼的な側面(神事や祝いの場での酒の役割)の両方が国際的な場で説明されている点は、酒造りという営みを技術史と文化史の両面から捉え直す機会になる。海外の読者にとっては、アルコール度数や製法の違いという技術情報と、神事との結びつきという文化情報が並んで紹介される構成自体が、日本酒という酒類の理解の入り口になっていると感じる。
結論
伝統的酒造りのユネスコ無形文化遺産登録は、2021年の国内における登録無形文化財としての評価を土台に、こうじ菌を使った発酵技術と、それを担う杜氏・蔵人の知識を国際的な文化財として位置づけたものである[1][2][3]。並行複発酵という発酵方式や、こうじの起源に関する『播磨国風土記』の記述など、酒造りの技術と歴史は個別の事実として積み重ねて理解する必要があり、酒税法上の清酒の定義のような制度面の知識と合わせて見ると、日本酒・焼酎・泡盛・みりんという酒類群の位置づけがはっきりする[3][4][5]。Sakelore Labとしては、家庭で日本酒や焼酎を味わう際に、ラベルの背景にある技術と歴史を一つずつ確認していく姿勢が、酒への理解を広げる次の一歩になると考えている。なお、20歳未満の飲酒および飲酒運転は法律で禁止されている。妊娠中・授乳中の飲酒は、胎児・乳児への影響が指摘されており、厚生労働省が控えるよう強く推奨している。持病がある場合や服薬中の飲酒は、医師に相談する必要がある。
参考文献
- ユネスコ無形文化遺産「Traditional knowledge and skills of sake-making with koji mold in Japan」(登録内容の説明)
https://ich.unesco.org/en/RL/traditional-knowledge-and-skills-of-sake-making-with-koji-mold-in-japan-01977 - ユネスコ無形文化遺産「Traditional knowledge and skills of sake-making with koji mold in Japan」(伝承の担い手)
https://ich.unesco.org/en/RL/traditional-knowledge-and-skills-of-sake-making-with-koji-mold-in-japan-01977 - 文化庁広報誌ぶんかる「伝統的酒造りの登録無形文化財への登録について」(登録無形文化財への答申)
https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/news/news_005.html - 文化庁広報誌ぶんかる「伝統的酒造りの登録無形文化財への登録について」(酒造りの歴史)
https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/news/news_005.html - 酒税法(e-Gov法令検索)第3条第7号(清酒の定義)
https://laws.e-gov.go.jp/document?lawid=328AC0000000006
